山中篤嗣さん中京大学京丹後支部校友会幹事長(1970年 商学部卒)

山中さんがペナント寄贈

 在学時代の文化祭の記念品を2点寄贈した。大事に取っておいた思い出深い品々だ。

 寄贈品は、入学した1966年(昭和41)の第13回大学祭のグリーンのミニペナントと、1969年(昭和44)の第16回大学祭の手ぬぐい。白地の手ぬぐいの中央には「闘魂」の二文字が墨書してある。66年の文化祭では樽みこしを担いで「八事の電車通りを練り歩きました」と懐かしむ。

 入学式の際、梅村清明学長らが退場すると、高下駄に羽織姿で登場した応援団長から「入学おめでとう」と祝福を受けた。さらに、学生服の応援団員が30人ほど入場して校歌の特訓が始まった。約30分。そのお陰か「高校の校歌を覚えなかったのに、中京大学の校歌だけはよく覚えています」

 特訓後、応援団にスカウトされる思わぬ展開となったが、どうもバンカラの気風になじめず、まもなく退部した。

 「郷里から東京は遠すぎる。でも、京都は近すぎる」。というわけで中京大学を選んだ。卒業して京都府京丹後市に戻り、丹後織物工業組合に就職した。大学の市川繁ゼミでマーケティングを学んだ経験を買われ、丹後ちりめんの着物を全国にPRする宣伝業務を15年間務めた。

 38歳の頃、3代目として家業の酒店を継いだ。地元の峰山小売酒販組合の副理事長。中京大学京丹後支部校友会幹事長を務める。