バシール・モハバットさん

 駐日アフガニスタン・イスラム共和国大使館の特命全権大使、バシール・モハバットさんは、かつて中京大学商学部に留学した経験を持つ。日本の大学講師、自動車会社勤務を経て、48歳で外交官になった。学生時代に、本国では軍事クーデター、旧ソ連軍の侵略があり、今も反政府武装勢力タリバンとの戦いなど動乱が続くが、モハバットさんは「アフガニスタン本来の平和を取り戻したい」と願う。流ちょうな日本語を操り、日本の政財界、文化団体などと密接な関係を築いてきたモハバットさんに、留学生時代の苦労などを聞いた。

勉強やサークル活動、たくさんの経験積む

 ――中京大学に入学されたのが1977年(昭和52)。留学生の生活は大変だったのでは。

 言葉が十分にはできなかったのが一つのハンディでした。中京大学に来る前に拓殖大学で日本語を3か月習いましたが、名古屋では外国の人もほとんどいないし、結構ホームシックになった。それに当時は、1ドル340円か360円だったから、生活は大変でした。最初は熱田区伝馬町のアパートに友人と住み、あちこちで子供たちに英会話を教えるアルバイトをしました。その後、金山で一人暮らしを始めました。喫茶店で朝6時から授業の始まる前まで働いたこともあります。梅村清明先生(学長)には、時々昼にカレーライスをご馳走してもらいました。学費も配慮していただき、本当に助かりました。とても勉強しやすくなり、だいぶ楽になりました。

 ――授業はどうでしたか。

 教授から、「今さらこちらが英語を勉強するのは無理だから、モハバットさんが日本語を覚えなさい」と言われました。それから、漢字を書いた紙を部屋の天井や壁に貼り付け、朝起きるとその紙を見て練習しました。それが結果的に良かったです。言葉もそうですが、読み書きもできないといけません。教授や職員の皆さんはすごく優しかったのですが、それなりに厳しさもありました。私の入学後に旧ソ連軍の侵略があったので、皆さんも余計、何とかしてあげないと、と思ったのでしょう。

中京大学で今に至る基盤ができた

 ――文化や生活習慣の違いはどうでしたか。

 多少ありましたね。慣れるまで少しかかりました。食べ物にしても文化の違いもいろいろありました。でも、学食で赤みそがどんどん好きになった。ゼミの直前に慌てて味噌汁を飲んでシャツに全部かかったことがありました。どうしても行かなくてはいけないゼミだったので、上着で隠して教室に行くと、皆味噌汁のにおいに気づいた。先生は気づいたけど、黙っていました。そんなハプニングもありました。

 ――大学祭では演劇に出たそうですね。

 いろいろなサークルに顔を出していました。大学祭は結構楽しかったですね。いろいろ付き合いで彼らのサークル入ったりとか、ちょっと顔を出したりとか、参加したりとかね。だから、すごくたくさんの経験を積むことができて、うれしかったですね。
 学生時代に日本のいろいろなことに興味を持ちました。苦労はあっても、その分、興味を持てる。だからそういう意味でも、今日、この仕事、この場、ここまで来られたのは中京大学さんのおかげです。中京大学を卒業した後に名城大学、日本大学にも行きましたが、もう慣れていたので、あまり苦労はありませんでした。中京大学で基盤とか基本をつくることができました。感謝しています。

留学による経験、国際人への一歩

 ――留学ということでは、中京大学の学生は年間500~600人が短期も含めて海外に留学しています。学生時代に留学することをどう思われますか。

 国際人、国際的な感覚を身に付けるには、直接、経験しなくてはいけない。留学すると、それができる。まず言葉を覚えることが必要です。私も長い間、英語などを教えていますが、教室で1、2時間勉強するだけでは覚えられない。海外で相手がいれば外国語で話すことになる。そうした環境、会話をする必要がないと、人間はなかなかしゃべらない。もう一つは、留学は違う文化と触れ合う経験になる。違う人間、違う国と。そうすると、自分の国にないもの、良さも悪いところも分かる。それはものすごく意味がある。3番目に大事なことは、自分の国の良さや欠点を遠くから見ることができる。日本にいると、なかなか見えない、分からない。海外にいると、違う角度、違うところから見える。素晴らしいことではないかと思いますね。

 ――今の学生も、そういったことを意識すると実りがある。

 最近は、日本人の留学が少なくなってきました。あまり行きたがらないようですね。学生が真面目にたくさん勉強するのは当たり前のことです。大学に入るというのは、勉強のために入っていますから。それに、留学ができれば、たくさんの経験ができます。それこそ国際人に近づく。留学で、海外の暮らし方を知る、政治にしても法律にしても経験できるのは大きいと思います。もちろん、自分の国のことについても知っていなければいけません。

日本とアフガニスタンの懸け橋に

 ――アフガニスタンと日本の関係はいかがですか。

 私は、日本とアフガニスタンの関係をいろいろな形で前に進め、深めたい。そのための懸け橋になっていきたい。日本とアフガニスタンは2000年前からシルクロードと仏教でつながりがある。奈良からローマまでのシルクロードで、アフガニスタンは、一番メーンの栄える国だった。文化も、食事も、服も、人間も、言葉も全部交ざって、行ったり来たりした。仏教では、奈良の大仏は、それこそバーミヤン(アフガニスタン中部の都市)大仏の後に造られた大仏ですから。だから非常にいろいろな意味で関係が深い。両国はすごく近い、政治的にも経済的にも文化的にも。すごく関係が良好な国です。
 皇族と王族の交流もありました。アフガニスタンがまだ王国だった1971年、今の上皇さまが皇太子さまのころ、美智子さまとアフガニスタンを訪問されました。両国はアジア諸国だし、よく似たところがあります。一般の国民も。だから、自分も、大学をはじめ日本のいろいろな方々に、すごくお世話になってきたので、恩返しの意味もあって、一生その関係を大事にしていきたいと思います。


学生時代のモハバット大使(中央)

バシール・モハバットさん

1956年、アフガニスタン・イスラム共和国のカブール生まれ。
叔父が駐日アフガニスタン大使館の副大使だった関係で、実家には日本画家の平山郁夫さんやアフガニスタン文化の研究で知られる前田耕作・和光大学名誉教授、登山家ら多くの日本人が訪れ、日本に対する興味を持った。1977年中京大学商学部入学、1986年卒業。同年名城大学大学院に進み、国際法修士を取得。名古屋周辺の大学で講師、名古屋の自動車会社の米国駐在を経て、2003年駐日アフガニスタン大使館二等書記官・領事。一等書記官。同年に日本大学で国際法の博士号取得。2007年から大使特別補佐官、参事官、代理大使、大使補佐を務める。15年に本国外務省の戦略研究所で外交政策・国際関係部長。16年駐日アフガニスタン大使館副大使を経て、17年7月に特命全権大使に就任。