野々部利夫さん元中京大学体操競技部員(1969年 体育学部卒)

バッジや体育会員証などを寄贈し、
学生時代を振り返る野々部さん

 学生時代、体操競技部の部員として活躍した。当時の体育会員証、体操競技部員証、体操競技部章(バッジ)、受験票や、梅村清明学長ととき辰雄体育学部長連名の合格通知書など約30点を寄贈した。

 京都府舞鶴市出身。宙返りなどの器械体操が得意で「中京大で体操をやりたい」と入学した。「厳しい先輩と後輩との上下関係はなかった」と振り返り、「中京大が大好き」と語る。在学中、当時の全日本学生体操競技連盟東海北陸支部副委員長などを務め、大会の運営にも携わった。学部の4年先輩に中山彰規氏、1年後輩に笠松茂氏といったオリンピアンがいる。

 寄贈したのはこのほか、入学金・授業料領収書、瑞穂運動場で開催された体操祭の参加者向けに名古屋市交通局が発行した路面電車臨時優待乗車券、大学祭プログラム、愛知大学野球入場券(学生券50円)など。「タンスの中などにしまってあった」そうだ。

 卒業後は県内の中学校、高校で体育教員として勤務。現在、蒲郡市内に住み、ボランティアで複数の小学校の児童たちに器械体操を教えたり、1級ラジオ体操指導士として地域の人たちにラジオ体操を指導したりの毎日という。

 野々部さんから、その後、新たに第13回中京大学祭(1966年)の手拭い1本と、体操競技部が部内大会で配った参加賞の手拭い3本の寄贈があった。

 第10回部内大会(同)の手拭いは、中山彰規氏(68年メキシコ五輪、72年ミュンヘン五輪金メダリスト、現・中京大学名誉教授)の十字懸垂がデザインされている。

 第12回部内大会(1968年)の手拭いには、体育学部長だった斎辰雄氏がスポーツ墨絵で描いた、あん馬競技があしらわれている。

 部内大会は、インカレなど大きな大会が終わった後に、OB・OGも参加して開催された。野々部さんは、「現役選手は順位が付けられたが、OB・OGは余興的に演技をすることもあり、大いに盛り上がった」と、当時の様子を語った。

体操競技部の部内大会の手拭いと、
中京大学祭の手拭い(上・右端)