田中伸明さん

 田中伸明弁護士は、中京大学法科大学院の1期生として、重い視覚障害を抱えながら点字の図書などで猛勉強し、司法試験に合格した。2004年4月に開設された中京大学法科大学院(法務研究科)は、2018年10月に廃止されるまでに52人の司法試験合格者を輩出しているが、視覚障害を抱えて合格したのは田中弁護士ただ一人。全国でも4人目だった。現在は、弁護士活動の傍ら、障害者支援の活動にも意欲的に取り組んでいる。

司法試験合格を目指して

 ――法曹の道を志した動機は。

 私は3歳頃から視力が低下し、視野が欠けていく網膜色素変性症という難病と診断されました。名古屋大学工学部に入学したのですが、次第に色の変化が分からなくなり、計測器の目盛りも見えなくなっていった。将来を心配した母親が、日本初の全盲の弁護士である竹下義樹先生に手紙を出し、直接話をしたことで法曹の世界に関心を抱きました。そこで、3年生のときに法学部に移り、法律の勉強を始めました。当時の視力は矯正しても0.3くらいで、辛うじて専門書も読むことができ、なんとか卒業できました。

 ――司法試験の受験を決意されたのはいつ頃ですか。

 1991年に名古屋大を卒業したのですが、その前後から一気に視力が低下していきました。友人たちは就職や進学をしたのですが、自分は未定のままで前途を悲観して引きこもりのような状態になりました。このままでは駄目だと思い、名古屋市のリハビリテーションセンターに通って、点字の「あいうえお」から勉強を始めました。センターの視覚指導課の先生がたと話をする中で、竹下先生にお会いした当時のことを思い出し、司法試験に挑むことにしたのです。
 最初に受験したのは1994年5月です。以降、毎年受験するのですが、一次の短答式で落ちました。通常の受験者は60問中45、6問正解で合格します。点字で受験する場合はどんなに頑張っても50問解くのが精いっぱい。そのうち45、6問正解するのは至難の業です。そこで、全国の点字受験者と一緒にセンター試験の点字受験を研究されている先生などの協力も得て、法務省や国会議員の方に陳情して、受験条件の改善をお願いしました。その間も毎年受験し、計10回受けましたが、合格できませんでした。

中京大学法科大学院の門を叩く

 ――そこで法科大学院に入学されたわけですね。中京大学を選んだ理由は。

 法科大学院が開設する前年に「個別相談会」があって、事情を話したところ、実務家教員の木村良夫弁護士から、「必ず点字で受験できるようにするから、願書を出しなさい」と言われました。それで、中京大学に入学することになったのです。中京大学は授業料も国立大学並みで、経済的な負担も軽い。それに、徹底した少人数教育、実務家教員の採用、他の学部や研究科との提携によるプログラム編成に魅力を感じました。それに、法科大学院が入っていたアネックス棟は地下鉄直結でバリアフリーが行き届いており、通学にも便利でした。

 ――学習環境はいかがでしたか。

 刑事訴訟法とか民事訴訟法の基本書などを点字化してもらい、アネックス棟の図書室に揃えていただきました。また、法律書の出版社である有斐閣や弘文堂が刊行した専門書で、読みたいものがあれば、大学が出版社に依頼し、著者から同意を得た上で、テキストデータを購入していただきました。テキストデータがあれば、パソコンの音声ソフトでダイレクトに読めるので、点字化する作業がいりません。音声ソフトで勉強する際、騒音が邪魔にならないように、2階の教授陣が使う部屋の一室を専用で利用できるように配慮していただきました。おかげで、個室に「点字六法」はじめ点字の書籍を持ち込むこともでき、集中して勉強することができました。

 先生方は、授業の前に配るレジュメを、前もって2、3日前に作って届けてくれました。それをスキャナで撮ってテキストデータにするための部屋もありました。職員の方々も、テキストデータ化や期末試験を点字で受験できるように配慮してもらいました。

 ――指導を受けた先生方の印象は。

 一般学生と同じように平等に対応してもらったように思います。実務家の先生が9人ほどいらっしゃったのですが、教え方が学者の方と違って、非常に新鮮な印象を持ちました。弁護士の方々、高等検察庁の元検事長、裁判所の元判事や都市銀行の法務部長経験者など多士済々でした。国際司法裁判所で判事を務めた先生もいらっしゃいました。
 学生も少人数で、先生方との距離が近かった。おそらく先生方からも一人ひとりの顔が見える形で指導されていたと思います。100人いるとなかなか全員に目配りできませんが、30人余ですから。

弁護士活動と社会的な活動の両輪で

 ――司法試験に合格し、弁護士事務所に就職されました。

 中京大学の先生方が、せっかく1期生の4人が合格したのだから絶対に全員就職させないといけないとおっしゃって、私は名城法律事務所に入所しました。最初は勤務弁護士として給料をもらって勤務するのですが、3年たった時点でパートナー弁護士という、勤務弁護士から経営する側に立場が変わります。ちょうどそのときに豊田に名城法律事務所が拠点を設けるという話があったので、2012年から豊田事務所で活動しています。

 ――弁護士活動でとりわけ力を入れていることは。

 障害者関係の制度づくりとか、制度改革についてはやりたいという気持ちが大きいですね。弁護士資格を持った障害当事者ということになると、いろいろと障害者団体、私の場合は視覚障害者団体から推薦していただいて、例えば国であれば審議会の委員とか、名古屋市だと障害者施策に関する委員会の委員など務めています。そこでしっかり意見を言って、よりよい制度を作っていくという役割ですので、非常にやりがいを感じています。普通の弁護士活動と公的な活動との比率は五分五分ですが、視覚障害の当事者として声を上げることは大事ですので、これからも社会的な弱者に寄り添いながら、弁護士活動や公職など自分なりの役割を果たしていきたいと思っています。

開放的な校風を大切に

 ――最後に、本学に対してのメッセージをいただけますか。

 中京大学には、オープンなイメージがあります。いろんな人が入って勉強していいよという、開放的な校風がある。それは点字受験で全く問題なく受けさせてもらえた、自分の経験からも言えます。多様性を確保することはとても大事なことで、違いを認め合うとか、違う立場の人を受け入れるのは、現代社会にとっても大事な要素です。どこの大学でも心掛けているとは思いますが、なかなかできない。いろんな事情を抱えた人が自由に学べるところは、これからも大事にしていって欲しいですね。

田中伸明(たなか・のぶあき)さん

1967年生まれ。
香川県出身。91年名古屋大学法学部卒業。2007年3月中京大学法科大学院修了。同年9月司法試験合格。08年弁護士登録、名城法律事務所入所。12年から名城法律事務所豊田事務所で活動。弁護士業のほかに、内閣府障害者制度改革推進会議総合福祉部会委員、厚生労働省改正障害者雇用促進法に基づく差別禁止・合理的配慮の提供の指針の在り方に関する研究会委員など多数の公職を務める。