岡田洋一さん元中京商業高校水泳部員(1956年 中京商業高校卒)

水泳アジアジュニア大会で獲得
したメダルを手にする岡田さん

 「当時は物資の乏しい時代で、メダルのデザインは、1位も2位も同じ。大会が別でも同じ。金も銀もない」。岡田さんは、1953(昭和28)年に神宮で開催されたアジアジュニア大会の自由形100mで1位、400mで2位になった。ただ、受け取ったメダルは、同時開催された「日本選手権水上競技大会」のものだった。

 岡田さんが所属していた中商水泳部の監督は、「赤鬼」と呼ばれた鈴木重孝先生。練習はとても厳しいものだった。先生の「大選手はカミソリではなく、ナタでなくてはならない」という言葉は、精神的に強くあれという意味だ。プール開きは寒さの残る4月。当時は温水プールなどなく、水温は15℃ほどだった。

 厳しい練習が実を結び、岡田さんはメルボルン・オリンピック候補に選出され、強化合宿にも参加した。豊橋市出身の岡田さんは、学生時代は名古屋市内にある先輩の社本義信さん宅に下宿し、家族同様に大変お世話になったという。

 「水泳から得たものは、"一期一会"。水泳を通じてたくさんの人に出会うことができた」。岡田さんは、うれしそうに語った。