辻敬一郎さん

 辻敬一郎さんは、日本心理学会・日本心理学諸学会連合・日本基礎心理学会の理事長、日本学術会議連携会員などを歴任、学界の発展に寄与した。本学では、2000年4月、文学部心理学科の改組により日本初の心理学部が設置されたが、その発足にあたり教授に就任、2006年3月に退職した。その間、大学院心理学研究科の初代研究科長も務めている。心理学部の歴史を知る辻さんに当時のエピソードを聞いた。

中京大学との出会い

 ――先生は、心理学部の前身である文学部心理学科の発足当初から合算して二十数年間、非常勤として授業を担当されていますが、その頃の思い出はありますか。

 非常勤で初等実験実習を担当したのが最初です。学科開設にあたっては結城錦一先生(初代文学部長・故人)が大きな貢献をなさったのですが、先生からお誘いがあってのことです。心理学科では当初から「基礎」をしっかり教育する方針で、1年次対象の実験実習も4コマ連続という授業でした。私は名古屋大学教養部助手でしたので、4コマの非常勤はとてもできません。勤務校の許可を得て土曜日午前中だけ本務を離れ、その日は朝から夕方まで指導に当たりました。

 こうお話すると、かなりしんどかったと思われるかもしれませんが、授業の合間などに先生方と学問論や学生指導について議論ができ、実に楽しい時間でした。発足早々ということもあって、専任の先生方は心理学科の将来像を模索しておられ、非常勤の私までもその場に迎え入れてくださったので、後々ずいぶん役に立ちました

 初等実験演習の担当は4年間だけでしたが、その後も学部講義や大学院演習などの非常勤として中京大学とのご縁が続きました。

日本初の心理学部

 ――心理学部開設のタイミングで専任教員に就任されました。

 2000年4月に心理学部が発足しました。まさか自分がその一員となるなど考えもしていませんでしたので、設置申請に載せる心理学部構想について森孝行先生(教授・故人)からご相談のあった際には、あれこれ率直に意見を申し上げていました。

 そして、梅村清弘総長・理事長にお誘いいただき、心理学部発足と同時に専任教員に就任しました。前任の名古屋大学を定年で退職した翌日が本学着任の日でした。これも不思議なご縁ですね

 当時、社会では、いじめや不登校、職場不適応など「心」の問題が人々の関心を呼び、その解決を求めて心理学に期待が寄せられていました。それを受け、本学で心理学科の拡充改組による学部設置が実現したというわけです。心理学の基礎領域である実験心理学・発達心理学、それぞれを基盤とする応用心理学・臨床心理学の4領域編成で、学術的にも教育的にもバランスの取れた学部が誕生しました。欧米諸国では心理学単独の学部が以前から存在していましたが、わが国では本学が先陣を切ったのです。設置申請にあたって尽力なさった先生方の先見性に敬意を表したいと思います。

 ――学部に続いて大学院心理学研究科も発足しましたね。

 そうです。普通は学部の完成年度を過ぎて大学院が開設になるのですが、2年前倒しで心理学研究科が認可されました。最初2期4年間、研究科長を仰せつかりました。この研究科の特徴といえるのは、4領域それぞれの専門科目と並行して、共通の必修科目「心理学論」と「心理学研究法」を置いたことです。自分の専攻領域に閉じこもっていたのでは、同学者や他分野の人たちと協調して社会貢献を果たすことができません。連携に欠かせない広い視野を身に付けてもらいたいという思いで、研究科のカリキュラムに「一般教育」的な要素を取り入れました。設置審査の席上、この点につき委員からお褒めの言葉をいただき、心強く思いました。その一方、初めのうちは、その趣旨が院生諸君に理解しづらかったようですが、年を重ねるにつれて積極的に受講してもらえるようになりました。地味ではありますが、これも中京大学の心理学教育の特色の一つといえると自負しています。

中京大生の印象

 ――文学部心理学科時代の学生についてはいかがですか。

 最初の年の初等実験実習のことです。毎回レポートを細かく添削したのですが、若気の至りでずいぶん手厳しいコメントを書いていました。それから何年かたち、学科発足30周年の記念パーティーに出席した際、当時この実習を受けたという卒業生に礼を言われました。苦情を聞かされるかと思っていたので、救われた気分になりました。

 もう一つは専任になった初日の朝のことです。朝一番に研究室に外線電話が入りました。何事かと受話器を取りますと、学科当時の卒業生からでした。彼は、私が専任として着任したこと知り、「後輩たちの指導をよろしく」という電話だったのです。これには感動しましたね。その一言で、学生と共に頑張ろうという高揚した気持ちになったのを覚えています。

 ――学部になって雰囲気は変わりましたか。

 何しろ「心理学ブーム」の中でわが国初の心理学部でしたから、全国から志願者が集まり、入試の難度も上がりました。その一方、学科時代の「活きのよさ」がいくらか後退したという感じがしました。もっとも、学科時代は非常勤の身でしたから、専任になって以後、自分の立場の違いが印象に影響しているのかもしれません。

 ――ゼミについては、どのような印象をお持ちですか。

 着任して戸惑ったのが「ゼミ」の運営です。名古屋大学では「心理学専攻」に教官7人、大学院生と学部生がそれぞれ10人前後という規模でした。ですから、運営も指導もこのメンバー全体で進めるという、いわゆる「教室」体制だったのですが、中京大学では教官1人で複数の学部生、教員によってはそれに大学院生を指導するという方式でしたから、初め要領がつかめず、うまくやっていけるかどうか心配でした。学生の自己紹介では、決まって「○○ゼミの□□です」と言うんですね。それほどまで重要なゼミで、卒業研究や学修の指導を1人の教員が背負うわけですから、責任を重く感じました。

 そこで、ゼミ生諸君には、学生主体でゼミを盛り上げてほしいと話し「自立と自律」「競争的協調」の二つをモットーに決めたのです。幸い、歴代のゼミ生がこの趣旨を理解し、互いに助け合って卒業研究や共同実験を進めてくれました。「卒業研究は心理学の幅広い領域から選んでいい」と伝えてありましたから、彼らが選んだテーマはずいぶん多彩でした。同僚の先生方の目にもそう映ったらしく、「個性派集団」といわれていたようですね。

 ちょうどその時期に、複数の全国学会で代表を務めていたこともあって、ゼミ生一人ひとりの指導に十分な時間を割くことができなかったのですが、彼らが卒論の原稿を読み合って意見を出すなど、モットーに従って凝集性の高いグループを形成してくれたことは心強い限りでした。6年間の在職中のゼミ生は総勢54人ですが、今も何人か卒業生と交流が続いています。

 ――中京大生の特色は。

 先ほど紹介した卒業生のエピソードにみられるように、皆さん人間味があるというのが変わらぬ印象です。ゼミ生がお互いに援助し合う様子を目にし、派手さはなくても人間関係に細かな配慮ができることを印象づけられました。「心理学部生は控えめだ」といわれることもありますが、このような資質は社会人としてもプラスになっているのではないでしょうか

社会に存在感を

 ――今後の心理学部に何を期待しますか。

 長年の懸案だった心理職の国家資格化が実現し、「公認心理師」が誕生しました。それ以前にも学会や協会が認定する民間資格がありましたが、国家資格が認められたことで、医療や教育などの分野における活躍に期待が高まっています。と同時に、厳しい評価の対象になることも覚悟しなければなりません。心理学全般の学識と経験を身に付けるだけでなく、他の職能の人たちと積極的に連携していくための素養も必要になります。

 先ほども申しましたが、本学心理学部では現代心理学の諸領域をカバーする教員構成になっていますし、大学院の共通科目はそのような人材養成に役立ってきたと思います。その上で、全学的教育連携に取り組んでいただきたいと思います。在職中、当時の小川英次学長のご発案で、学内に「大学院問題検討委員会」が設置され、研究科長全員が参加し、それぞれの研究科の現状と課題を披露し合いました。その席でも申し上げたのですが、学部生対象に実施されている、専門教育と全学共通教育の二本立てカリキュラムに倣って、全学の大学院生を対象にした「大学院共通教育」を立案、実施してみてはどうでしょうか。心理学研究科共通科目を拡張したプログラムの構想です。

 今回、このような機会を設けてくださった関係者の方々にお礼を申し上げ、最後に「中京」のさらなる発展をお祈りします。

辻敬一郎(つじ・けいいちろう)さん

1937年生まれ。名古屋市出身。
名古屋大学文学部卒。教育学修士・文学博士。名古屋大学文学部教授、その間、文学部長、副総長を兼務。2000年3月定年退職して、中京大学心理学部教授に就任、2002年度から2期4年間は大学院心理学研究科長を兼務、2006年3月退職。
学外では、日本学術会議連携会員、日本心理学会・日本心理学諸学会連合・日本基礎心理学会理事長、文部省大学設置審議会分科会専門委員などを歴任。