黒川譲二さん

 黒川譲二さん(1972年商学部卒)は、中京大学珠算部の時代に、全国珠算競技大会の個人および団体で日本一になった経験がある。卒業後も高校教員を続ける一方、そろばんに打ち込み、現在は、全国暗算コンクール・シニア部門で18年連続全国一、そろばんでも16回優勝の輝かしい記録を残している。日本珠算連盟の最高段位である十段の保持者である。

強豪として名を馳せた珠算部

 ――珠算部は歴史に残るクラブですね。

 1954(昭和29)年、大学の前身である中京短期大学の先生の呼びかけで発足したと聞いています。当時は、ほとんどの短大生が入部するほどの人気だったそうです。
 私が中京大学商学部に入学したのは1968(昭和43)年ですが、珠算部は中部学生珠算競技大会で7連勝、全日本学生珠算競技大会で団体と個人で優勝した、学内でも有名なクラブだった。その後、珠算部は電卓の普及やパソコンの登場で、1998(平成10)年に廃部になっていますが、昔は、東の中央大、西の中京大と評される強豪でした。

 ――個人・団体で全国一になったことも。

 競技会では、国民珠算競技大会の愛知予選で4年間連続優勝し、全日本珠算選手権大会「真夏のそろばん日本一」の種目別競技で、1、4年生のとき暗算で、2年のとき開法でいずれも優勝しています。国民珠算競技大会では、1968(昭和43)年に個人で1位、読み上げ暗算は2、3年生のときに優勝しました。団体としても、全国珠算競技大会で1968年に優勝、その前後の年も2位、3位と、優秀な部員がそろっていました。

 ――競技会参加以外どんな活動がありましたか。

 夏休み期間中、1週間ほど「わんぱく教室」という活動があって、愛知県や岐阜県の山間部の小中学校で児童の珠算指導をしました。私は、愛知県北設楽郡の富山村に行きましたが、午前中はそろばんの指導と宿題の手伝い、午後は子どもたちとゲームやスポーツを楽しみます。民宿に泊まるので、村人や部員同士のふれあいもあり、結構面白い体験でした。しかし、夏休みは珠算の全国大会が開かれるので、私は確か1回しか参加しなかったように思います。

 ――「梅村杯争奪全国高等学校珠算競技大会」も開かれていましたね。

 全国の高等学校在学生を対象とする珠算の競技会でした。私が入学した頃に始まり、毎年、大学祭の期間中に開かれていました。東海地区のほとんどの商業高校や商業科のある学校が参加し、団体および個人でそろばんの腕を競い合うのです。"梅村杯"はそろばんを習う高校生にとって、大きな憧れでした。全国規模の大会は、今も続いている、中央大学の珠算研究会が主催する全国高校珠算選手権大会がありますが、当時は梅村杯も並び立つ競技大会でした。

そろばん一筋の人生

 ――そろばんとの出会いは。

 小学校3年生のとき、同級生がそろばん塾に通っていたので、自分も始めました。読み上げ算が得意で、愛知県の競技大会に出場して3等になったことがあります。中学2年生のときに興味を失ってそろばんから離れましたが、高校に進学すると先生から誘いを受けて珠算部へ入り、名古屋珠算選手権大会高校生部の読み上げ算で優勝しました。
 2年生に上がる直前、全国珠算大会段位決定試験で、いきなり七段に合格しました。引き続き行われた種目別競技でも日本記録5位のタイムを出したので、主催者もびっくりしたようです。次の大会では、当時最高の八段に合格、種目別では優勝しました。高3では、「そろばん日本一決定戦」にも出場しましたが、入賞することはできませんでした。しかし、このような実績が評価され、中京大学に特待生で入学できました。

 ――教職の道を選んだのは。

 教職課程を取っていたことと、「後輩を指導するには教員がいい」というアドバイスを受けて、瑞穂高校の商業科の教師になりました。指導方針は、珠算の優秀な選手を育て上げるのではなく、生徒全員のレベルを上げ、企業の要請に応えることでした。一生懸命指導した結果、珠算検定1級を受験する生徒が3分の1以上になり、全国大会に出場する選手も育てました。
 私が「真夏のそろばん日本一決定戦」の都道府県対抗競技で優勝したのは1979(昭和54)年です。以後連続3年、準優勝しています。そして、40歳になったとき、自分の実力がどのくらいあるのか確かめたいと思って、検定試験を受けてみたところ、十段に合格したのです。40歳で十段に合格するのは恐らく初めてです。

そろばんの魅力を内外に発信

 ――そろばんを通じた国際交流にも積極的に携わっておられますね。

 「日中親善珠算競技大会」のコーチ兼選手として台湾に行ったのが1979(昭和54)年です。1990(平成2)年に連盟の国際部長になってからは、ハワイへの親善使節団に子どもたちも連れて行くようになり、1995(平成7)年にはロサンゼルスにも出かけました。
 1996(平成8)年に開いた日本とハワイの子どもたちによる日米親善競技会をきっかけに「英語珠算研究会」が発足し、2012(平成24)年にはロサンゼルスで日米国際親善競技大会が開かれています。その準備段階や広報活動に当たっては、現地の中京大学アメリカ支部に大変お世話になりました。
 1997(平成9)年からは名古屋でも英語珠算大会を開いています。2府7県の小学生から一般人まで参加しますが、中京大学からは、国際センターの協力で、留学生が特別参加しています。そろばんができないので電卓を使いますが、日本の子どもたちが暗算で素早く計算する姿に感動して、大きな刺激を受けたという声をしばしば耳にします。

 ――そろばんの効用は何でしょうか。

 そろばんの0または5を表す五珠(ごだま)と0から4までを表す一珠の組み合わせで、感覚的に十進法を身につけることができます。子どもでも、視覚によって「数字とは何か」がつかめます。また、判断力を育て、根気や集中力が養える。目、耳、指先を使うことで脳の働きも高まります。私も自治医科大学で、脳波の検査を受けたのですが、暗算が創造性に関係する右脳の活性化に役立つという研究結果も出ています。
 中京大学は、スポーツで著名な選手や指導者を輩出していますが、そろばんという競技でも、それなりの伝統と成績を残していますので、「珠算」を、ぜひ教育や部活の中に復活させてほしいですね。

黒川譲二(くろかわ・じょうじ)さん

1950年愛知県蟹江町生まれ。
中京大学卒業後、瑞穂高校の商業科教員として勤務。そろばんの全国大会に出場する生徒も育てる。1990年から日本珠算連盟の国際部長。1996年に「英語珠算研究会」を立ち上げ、翌年から「英語珠算競技会」を主催。夢は「ジュウドウ」のように「ソロバン」を世界に広げること。現在、名古屋市西区で珠算塾経営。日本珠算連盟名古屋支部副理事長。